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2022年07月25日

ユーマーズはこの切り株になれるか

伊弉諾(いざなぎ)神宮は淡路島にある。

伊弉諾尊は、

伊弉冉尊と並ぶ神様の大御所のような位置づけで、

あの天照大御神や須佐之男命を産み落とした神様、

いわば神様の神様というわけである。


この、伊弉諾神宮には一つの都市伝説がある。

ググれば山のように出てくるが、

あの伊勢神宮や出雲大社、諏訪、高千穂、熊野といった、

神々の有数の要所を直線的につなぐ奇跡的な位置にある、

いわば神をつなぎ結ぶ《みちしるべ》なのである。



確かに淡路島は、古事記によれば

日本国を創った最初の島だ。


観光名所の一つとして寄ったその神社で、

私はやがて、この切り株に出遭うことになる。



ユーマーズのビジョンの柱に、

「人生100年の受け皿」というフレーズがある。


言うに及ばず、このユーマーズという存在が、

一人ひとりの人生を抱え込む、

充実のよすがを目指すというものだ。


それは同時に、世代を超えて、

そして世代から世代へ継承される、

劇場の系譜でもある。



この日の前日、私なりに、

この先のビジョンを絵で示した。



一本の木を描き、現状と未来を書いた後、

自身を俯瞰したのちに絞り出したもう1つの木は、

描いたときに大きな変化を見せていた。



それは、木を描かず、

切り株に芽を出す小さな緑を描いていた。



木は既にその役割を終え、

もう1本の新しい芽が、

年輪から顔を出す。



ユーマーズはまさにこの、

裾野大きな切り株を創造し、

その後その切り落とされた株(くいぜ)から、

更にまた、新しい芽が現れる、

このありさまを目指していきたい。


それは、今のユーマーズ自身にも当てはまれば、

この先の、何十年後のユーマーズをも示唆している。



そんなことを描いていた翌日、

この伊弉諾神宮で出逢ったのが、

この切り株だった。



切り落とされた、

終演の象徴として描かれるだけでなく、

新しい生命を宿す受け皿にもなる、

切り株そのものである。



神宮の奥に、

ひっそりと佇んでいたこの切り株に、

偶然出遭ったわけであるが、否、

偶然ではないだろう。



そのように生きよ、

ユーマーズたれと、

背中を押してもらえた気がした。



各神社を、

寸分違わぬ位置で繋ぎ結んだこの神宮で、

この切り株に出遭えたことが、

ユーマーズの、

そしてユーマーズを生きる私たちの人生一つひとつの、

門出を祝うかのような存在感が、

今もこうして心に残る。



「人生100年の受け皿」は、


既にもう、その芽を出し始めていたのだ。



まさにUMAの如く不思議な都市伝説。オーパーツのような精巧な直線に、驚かずにはいられない。


その聖なる地、伊弉諾神宮で偶然見かけた切り株は、ユーマーズの未来を物語る。


  

Posted by 京都上鳥羽UMAs at 18:04徒然日誌